食べ物とセットじゃない年間行事はダメだ

これを書いているのはホワイトデー。言うまでも無くバレンタインデーとセットになった日本の年中行事。すっかりお中元、お歳暮と変わらない様相を呈しているけど、かろうじて恋人同士だの恋愛だのと結びついてはいる、のかな?

お隣の半島にはブラックデー(4月14日、恋人がいない奴らが黒い服を着て集まり黒いソースのチャジャンミョンを食べ、お互いを励ましあう)だの、イエローデー(5月14日、黄色い服を着てカレーを食べないと恋人が出来ない)だの面白そうなものまであるらしい。

わざわざ他の国の文化まで独自起源説を言い出さなくても、こういうのをもっと外国に向かって誇ればいいのに。これって立派な文化だと思うんだけどな。こういうセンスも悪くないと思う。

どういうセンスがいいのかというと、ズバリ「特定の食べ物とセットになっている」点だ。これは本当に重要だと思う。特に現代日本においては絶対に必要な条件だ。(世界的にも重要だろうけど)

ホワイトデー

バレンタインデーなんてお菓子会社の陰謀、という意見はよく聞くけど、本当に重要なのは目的を一つに絞った、という所だろう。お菓子会社の陰謀だと言うんなら、本当は何でも良かったはずだ。

欲張って「お菓子を送り合いましょう」なんてことにしなくて本当に成功だったと思う。古代では媚薬とも言われたチョコレートに限定して、尚かつ愛の告白イベント。これは流行らない方がどうかしている。

ホワイトデーも企画段階ではよかった。詳細はよく知らないが、これもお菓子会社の陰謀ってことなのかな?バレンタインを「女性から」と限定したおかげで使える二段攻撃。「もらった人間だけがお返しできる」という一種の優越感。

しかし食べ物を絞り込めなかった。これが一番の敗因だと思う。ホワイトデーが広がりだしたのは自分が小学生の3~4年生ぐらいだったような記憶がある。このころは「キャンディ」限定だったようで、自分も迷わずキャンディをお返ししていた。

もう少し上の年代の人によると、ほんの数年「マシュマロ期」が存在したという話も聞く。一方で「白いお菓子ならなんでも」という情報を持っていた人もいる。よくないな。ブレるのはよくない。

おかげでホワイトデーが浸透するまで結構かかった記憶がある。今でも「なんのお菓子」にするのか結構迷う(定まっていない)し、お菓子以外のプレゼントでお茶を濁すこともある。

知らないうちに「バレンタインの三倍返しのプレゼント」とかいう変な風習までついてきた。チョコの三倍の値段のキャンディなんか難しいから、もう品物で返すしかない。明らかにお菓子会社の利益から外れている。しかもその品物も定まっていないときている。

職場でセクハラ課長がエッチな下着をニヤニヤしながら配ったり、彼氏が欲しくもない変なオルゴールとか買ってくるのも、全てはお菓子会社のマーケティング戦略のミスのせいだ。最初にきっちりターゲットを絞り込んでおくべきだった。

恵方巻

その点で節分の恵方巻は凄い。「節分には豆」という古来からの伝統があるにもかかわらず、参入後十年を待たずに、完全に乗っ取り、少なくとも豆と同等近くまで勢力を伸ばしている。単価が高い分、明らかに恵方巻の市場規模の方が大きいだろう。

恵方巻が凄いのは一切ターゲットがぶれてないことだ。他の食べ物には目もくれない。意図してかどうかは知らないが、今後のブレを防ぐためにもプロテクトがかけてある。「恵方を向いて丸かぶりすること、その間は喋っちゃダメ」という儀式性だ。

「丸かぶりできて、食べてる間は喋れなくなる食べ物」というのが他に思いつかない。ロールケーキや団子には無理だ。他の食べ物の便乗商売がやりにくい。若い女性を取り込むためにオシャレにしようと思ったら「そういうお菓子」から開発しなきゃならない。

しかも恵方!おみくじ大好き日本人にはたまらないイベントだ。イベントの直前ぐらいから「今年の恵方はどっちだっけ?」みたいな話題と共に皆の意識に上り始める。確かに少し気になる。無意識のうちの洗脳(笑)と言ってもいいくらいだ。

「関西の方のある地方では、こういう風習があるんだって」という触れ込みで始まった時には(自分が記憶しているのはセブンイレブンの全国展開が最初)ちょっと胡散臭かった。「なんでそんな一地方の風習をやらにゃならんのか?」という疑問も、物珍しさには勝てなかった。

ちなみに「もともとそんな風習なんて別に無かった」という話を聞いて二度ビックリだ。(未確認情報)まぁ、そうであったとしても良い。今なら許す。面白いイベントだしね。本当に考えた人は凄いぜ。

ハロウィン

ここで歴史の上では重要かつポピュラーな行事のはずなのに、今ひとつブレイクしないハロウィンについて考えてみたい。もちろんお菓子がらみの視点で。

小さい子ども達が「Trick or Treat」「お菓子をくれなきゃイタズラするぞ」といいながら近所を回ってお菓子をもらう、というイベント。「お菓子をあげるからイタズラしないで」と言ってお引き取り願う、という小粋な行事だ。

間違って小さい子どもに「お菓子をあげるからイタズラさせて」と言ったら間違いなく逮捕されるので注意が必要だ。自分が小さい頃にはハロウィンというのは本の中の知識でしかなかった。今は保育園や幼稚園、子供会などで行っているらしいが、未だ遭遇したことがない。

しかし周囲の大人達はハロウィン未経験者ぞろい。あと何年ぐらい、そういうぎこちない場面が続くのだろうか?(どうでもいいが、十年後ぐらいにハロウィンを散々子ども時代にやった世代が大人になった時、ものすごいジェネレーションギャップが起こるような気がして怖い)

これというのも「決まったお菓子」と結びついていないのが大きいんじゃないかな。日本に輸入する時に、勝手に「パンプキンパイを子どもにあげる行事です」とか日本流にしちゃえばよかったと思う。ケルトの神々やドルイドはお怒りになるかもしれないが。

日本流に作り直した方が親しみが持てる、というだけじゃない。バレンタインもそうだけど、日本独自方式にすることで「私たちは、この行事を咀嚼、消化できました」という安心感につながるんじゃないだろうか。「だから本家とは作法も違うし、当初の目的も忘れてるけど怒らないでね」というわけだ。

その時のキーアイテムになるのが「特定の食べ物」なんじゃないだろうか。「この食べ物さえ食べていれば行事に参加したことになる、間違ってない」という免罪符。品物だったら後に残って邪魔になるが、食べ物だったら跡形も残らない。

毎年毎年同じアイテムを買っては捨てるのは「モッタイナイ」精神(笑)に反するようで日本人には向いてない。使い終わったアイテムが一年中家にあるのも日本人の季節感覚からすると野暮な話だ。これが食べ物だったら一気に解決して、食べ物メーカーは安定した利潤を得ることも出来る。

七草粥

クリスマスのケーキや大晦日のそば、お正月のお餅&おせちなんかは、もう鉄板とも言える安定感を誇ってるけど、そこには一歩およばない、ちょっと惜しい行事を考えてみる。

七草粥は結構いい線いってると思うが、七草がちょっとしょぼい上に手に入りにくい。子どもの頃はよく七草を集めに近所の畑や土手を歩き回ったが、今ではもう無理だろう。七草セットがスーパーで売られるようになった時は驚いたが、今ではもう当たり前の風景。

でも、もうちょっと派手にならないのかな?「お正月の暴飲暴食がどうのこうの」という行事だから質素にやるのがスタンダードなんだとは思うけど、「平成のNew七草」とか決めたっていいような気もするな。逆に「七草ピザ」とか土台を変えたっていい。古来からの伝統も大事だけど、「生活に根付くか」どうかって大切だ。

ひな祭り

ひな祭りといえば「ひなあられ」あとは甘酒ぐらいかな。これは雛人形の方にすごいコストがかかってるわけだけど、これをどう捉えるかだ。「だから質素に」なのか「ついでだから豪華に」食べ物を選ぶかどうかだ。

どっかのメーカーが「この○○ひなあられを、仲のいい男の子と一緒に食べると将来は雛人形のような夫婦になれる」とか言い出せば小さな女の子に流行るような気もするが。バレンタインとホワイトデーに挟まれてる時期なのがネックか。

なんか上手いことこじつけられそうな気がするんだけどね。せっかくの女の子のお祭りなんだから、少しぐらい色恋沙汰と関連付けてもいいような。日本古来の伝統を舐めるな、って言われそうだが。

花祭り、灌仏会

キリストの誕生には祝ってもお釈迦様の誕生日は祝わないのが日本人。不思議だけど、やっぱり甘茶ってチョイスがよくないんじゃないのかな。下手すると甘茶自体を飲んだことない人だって大勢いそうだ。

せっかく甘茶を仏像にかけるとか、甘茶で習字をやれば上達するとか日本人好みのイベントなのに、今ひとつ盛り上がらないのは何故なんだろう。寺に行かなきゃならないからか?クリスマスだって「教会にいくこと必須」だったら日本人は多分やらないよ?

企業努力が足りないんじゃないのかな。せめて四~五月ぐらいは「各種誕生仏マスコット付き甘茶ペットボトル」をコンビニの店頭に置く、ぐらいのことはしてもいいんじゃないのか?この際だから寺も協力すればいいのに。

食べ物もそうだけど、名前も統一した方がいい。自分は花祭りで覚えてたんだけど検索になかなか引っかからなくて困った。

こどもの日

端午の節句だけど、うちの日本語変換はタンゴと変換してしまう。そんなに皆川おさむに歌わせたいのか。これも雛祭りと同じでこいのぼりに多額のコストがかかってしまう。食べ物と言えば「柏餅」「ちまき」か。

我が家は柏餅派だったのが何故だか途中でちまきに変更。うーん、あんこが入っていればどちらでもかまわないけど、何も入ってないちまきは結構辛い。

これも統一した方がいい。というか合体させたっていいくらいだ。確かに時期的には店頭にたくさん並んでいるけど、どっちを買ったらいいのか結構悩む。解決案はないものか。

ちなみに我が家には結構でかい武者鎧があったんだけど、その価値がよくわからない子ども時代は友達の家に鯉のぼりがあるのを見て「負けた」と思っていた。こいのぼり上げる家、最近減ったなぁ。

お月見

月見と言えば団子。団子って地味じゃないか?と思いがちだけど、結構色んなメーカーが色んなものを便乗して売っている。でも品目数は多いんだけど、やっぱり団子には敵わず。

要は「月のように丸ければいい」というのがポイントだ。月見ナントカって商品名をつけて売ったもん勝ち。風流さ加減を忘れないのがコツ。

でも毎年決まった日がない、日にちがずれる、という致命的なハンデがある。しかも天候にも左右され、日中に月見は無理だ。かなりイベントの発生自体が条件限定される。

もちろん月を見ながら何かを食べる、という風流は捨てがたいんだけど、ここは一つ逆転の発想で「雨の時は月の代わりに○○を見ながら過ごす」というのはどうだ?

なんなら日時を決めてもいい「毎年9月9日はチーズケーキ1ホールを眺めながら空に浮かんでいるはずの月に思いを馳せる」とかでもいいんじゃないのかな。こうすれば天候や時期によって売れ残りを防げるし、食品メーカーは安心してキャンペーンが出来る。

まだ見ぬ行事を求めて

いろんな団体や協会が「○○の日」「○○記念日」を勝手に量産しているけど、それはいい。問題は本当にやる気があるのか無いのかだ。とりあえず語呂がいいからとか縁のある日時だからというので決めただけでは決め損だ。普及するはずがない。

世の中に多数ある記念日のうち、みんなはどれくらい知っているのだろうか。自分は眼鏡っ娘好きだから10月01日のめがねの日だけは忘れたことがないが、他にタクシーの日とかボクシングの日とかがあるのは知っていても何月何日だか全く思い出せない。

解決策は一つだ。ここまでの流れで想像が付くと思うけど、特定の食べ物と組み合わせるしかない。もちろん「そんなことのために記念日を定めたんじゃない」となるんだろうけど、「周知されなくても良い」ならそれでもいいが、世間に浸透して欲しいのであれば食べ物とセットじゃないと無理だ。

食べ物と関係ない記念日でもいい。蓄音機の日にロールケーキを食べたりボウリングの日にゴマ団子を食べてもいいじゃないの。なんとなく連想できればそれでいい。パンツの日にバナナを食べたりダンボールの日に餃子を食べたりするのはブラック過ぎていただけないが。

何度も言うけど日本古来の伝統行事は好きだし残して欲しい。でもそれ以上に祭り好きの日本人なので「何か理由をつけて」騒ぎたいのだ。

次に食べ物をひっさげて行事産業(今かってに作った言葉)に殴り込んでくるのは、いったいなんの記念日なのか。今から興味が尽きない。

食べ物とセットじゃない年間行事はダメだ” に対して2件のコメントがあります。

  1. あかししん より:

    阪神大震災の「どろソース」の日とかありますよ。

    チリ地震のあとには「ワインの日」とか作って支援にまわすといいですね。地震を生き残ったワインを飲んで一部が被災地支援にまわります。
    ・・・きっともうやってますね。

  2. zali より:

    探し方が悪いのか「どろソースの日」の資料が見つからない
    震災とソースのエピソード的なものはたくさん出てきたんだけどね

    前から思ってたけど
    防災の日にカンパンを食べる、みたいな感じで
    おまけで食い物をくっつけちゃって
    「ついでに期限切れ前の備蓄食料を入れ替えよう」
    みたいな手もあるんじゃないかな

あかししん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA