プログラム言語にとって美とは何か?

ハッカー(悪い意味の、ではなく)の間では
昔から「美しいコード(プログラムの内容)」という
部外者から見ると価値判断に戸惑うような
ある基準が存在するという。

私自身は、様々なプログラム言語に浮気をしながら
ポツリポツリとコードを書く日曜大工的プログラマーだ。
(もちろんプログラム関係の仕事などやったことがない)

しかし、それなりに「スマートな」プログラムの書き方は
なんとなくはわかっているつもりだ。

吉本隆明(吉本ばななのお父さんね)が書いた
「言語にとって美とは何か」を読んでから
もう15年以上がたとうとしている。

いまだに自分が日常的に使っている日本語に関してすら
「美とは何か?」と訊かれても答えることは難しい。

だから、ある意味では私が書く詩は
答えも目標もなく言葉を弄ぶだけの行為なのかもしれない。

ただ、プログラミング言語という
基盤も目的も既存の言語とは全く違う体系の中で
「美とは何か?」を探る行為は、ある意味で
言語そのものの普遍性、可逆性を探るプロセスなのかもしれない。

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