劇場版ドラえもん鑑賞の思い出


現実世界に存在しない架空の人物の人権を守るという全く意味がわからない流れの中で、いよいよ非実在青少年を含んだ都条例が本格審議中。

反対運動などにも参加しているが、二度と見れなくなるかもしれないので、今のうちに大好きなドラえもんの映画を連続で見ておくことにした。

他にも色々と今のうちに見ておかなきゃね。いろんな名作が存在自体を抹消されて、次に出てくる作品も無くなる。法律が出来るということはそういうことだ。

ドラえもんとの出会い

藤子不二雄作品で本格的に好きになったのはドラえもんからだ。オバQも嫌いじゃないけど、それは又別の意味だ。アニメ化する前から結構漫画で読んでいたような気がする。ドラえもん増刊号的に始まったコロコロコミックも創刊号から購入した。

最初に日本テレビ系列でアニメ化された時も、再放送で見たのかなんとなく覚えている。何故かあまりヒミツ道具を使わず、のび太に対してスパルタで、「なのらぁ~」とか変な語尾がついたドタバタ喜劇のようなドラえもんは、当たり前のように一瞬で終わった。

その後おそるおそる(のように見えた)夕方の10分の帯番組として始まった時は、製作プロダクションやテレビ局の系列など何も知らなかった子どもにも、「あぁ、こっちが本当のドラえもんだ」と感じさせた。何故だかシンエイ動画というクレジットも覚えた。

片倉設定満載のドラえもん大百科シリーズも熟読して、道具の名前も一応憶えた。この間、実家に帰ったらまだあった。赤ペンで「もしもボックス」に線が引いてあった、、、欲しかったんだろうなぁ、当時の俺。

ドラえもんとの出会い(リアル版)

日曜朝の30分枠も開始されて、かなり人気も出てきた頃、現実世界でドラえもんに出会った。といってもうちの机の引き出しから出てきてくれたわけではない。

隣町のデパート寿屋の屋上で「ドラえもんサイン会」なるものが開催された。いらっしゃいませ、こんにちは~、あなたの街の寿屋、というテーマソング?を口ずさみながら、小学生になったばかりの自分はドラえもんに会いにいった。

多分中には誰ともわからないオッサンが入っているのだろう。やたらでかいドラえもんだった。終始無言で座っている。ガンガン流れるドラえもんのテーマソングの中で一列に並んだ子ども達にサイン済み(だった記憶が)色紙が配られる。

握手もしてもらった覚えがある。うーん、緊張していたのか手がむき出しだったのかペタンハンドだったのか記憶がアヤフヤだ。

さすがに小学生だし「中に誰か入っている」ことは理解していた。でも何故だか自分は「中に大山のぶ代が入っている」と思い込んでいた。だから「喋ってくれればいいのにな」と思っていた。どうでもいいが、先入観もあるのか、大山のぶ代本人の顔はドラえもんにかなり似ていると思う。

後に調べてわかったことだけど、ある時期から、着ぐるみのドラえもんが大きすぎるので藤子F先生の申し出で子どもを見下ろさないサイズに変更されたそうだ。たぶん自分が見たのは変更前だ。

後にも先にも有名人(笑)のサインを大事に飾っていたのはドラえもんだけだ。数年間、自室の壁に貼っていた記憶がある。

大長編ドラえもん発表

ドラえもんが映画になると聞いて、正直あまり期待していなかった。当時の「アニメ映画」の評価なんてそんなものだ。テレビで一度流したものをまとめて上映したり、少し水増しした程度。

映画原作(だと後にわかる)の「のび太の恐竜」が何回かに分けてコロコロコミックに掲載された時も、初回は「あれ?この話、前に見たことあるぞ」と残念に思った。同じタイトル、設定の短編が既にあったからだ。

でも読み比べると何か違う。しかも「続く」とかになっている。はじめて「バージョン違い」という感覚を味わった。一コマ単位で間違い探しのように見比べて、次の掲載号を待った。

たしか映画の封切り前後に原作が完結したような。大変満足だった。面白いし感動もした。でも一つ疑問が。完全にセリフも一字一句覚えるまで読み込んだ漫画の映画を、お金を払って別の街までバスに乗って見に行く必要があるのか?小学一年生にとっては結構大きい金額なので、結構悩んだ。

悩んだ末に見に行ったんだけど、やはり感動して帰ってきた。泣いた。パンフレットやグッズも買い込んだ覚えがある。

映画になることの意味

劇場版ドラえもんを見たことがない人と、たまに話が食い違うことがある。「ドラえもんは確かに面白いけど、映画まで見る気がしない」確かに見たことがないとそう思うかもしれない。

アニメに限らず、他の実写作品でも「映画化」というのは総集編だったり、別キャストになっただけだったり、そういうものが多い。というか同じ話なのだ。最近では「最終回を映画館で」みたいな商売っ気たっぷりの作戦もあるが。

ドラえもんの映画が斬新だったのは単にテレビでやってないエピソードだからだけじゃない。マジンガーZ的な「映画版で出てくる敵が豪華」魔女っ娘アニメの「番外編」というパターンでもない。

テレビで普段やっていることを「基礎知識」として持っている客に対して、上乗せとしての話を提供したわけだ。これは上手い。クレヨンしんちゃんの「映画の方」が面白いのも、この辺に源流がありそうだ。

よく「映画のジャイアンはカッコイイ」ということを言われるけど、これは普段があんなキャラクターだから良いのだ。テレビ版で男気溢れる面を見せるのは「ドラえもんに休日を」ぐらいで十分だ。(リメイク版は酷かったが)

常日頃見慣れている、親しんでいるキャラクターが、違う一面も見せながら大きなイベントに遭遇する、というファンサービスとドキドキ感は大長編ドラえもんから始まった。

自分の中でのその後

今のように「アニメは文化だ」みたいな時代になっても「アニメは子どもが見るもの」的な感覚は残っている。ましてや当時は完全に子どものものだし、子ども自身も「子どもっぽいもの」を何時の間にか卒業していく。

大長編ドラえもんを三作目まで映画館で見た記憶がある。ちなみに二作目の宇宙開拓史は少し地味で、同時上映の怪物くんの「怪物ランドへの招待」の方に感動して泣いた。三作目は「一応見に行った」程度でよく覚えてない。

完全に「子ども騙し」だと舐めてかかっていた節がある。でも「アニメなんか子どもが見るもの」的感覚にとりつかれるギリギリ直前に大長編ドラえもんを楽しめたことは幸福な思い出だ。

今でも初対面の人によくする質問がある。男性には「子どもの頃見てた戦隊シリーズは何レンジャー?」女性には「小さい頃見てた魔女っ娘アニメは何?」だ。

これは意外と話が弾む。子どもの頃の実年齢と精神年齢は微妙にずれているので、そのズレを修正するのにも有効だ。年齢を聞くのが失礼に当たる女性も、この質問には答えてくれたりするしね。

その上で余裕があったら「映画版ドラえもんを見たことある?」と聞く。この質問の答えからは相当多くの情報が引き出せる。

自分より少し下の世代だと、大長編ドラえもんの記憶は武田鉄矢と結びついているようだ。確かに良い歌だ。でもその感情を共有できないのが残念。自分の中で武田鉄矢は金八先生でも黄色いハンカチでもなく「刑事物語」だ。

今見てみると

というわけで劇場版ドラを一気見してるんだけど、アニメを比較的よく見る自分にも、やっぱり子ども向けなんだなぁと思う。

一度も見たことがない人が大人になって見るにはお勧めしない。特に初期のものは作画や音のクオリティも低いし、ガッカリすること請け合いだ。(もちろん凄くいい話ではあるのだけど)

でもそれって昔見ていた人にとってはマイナス要素にならない。大人にとってのドラえもん鑑賞は「あんなこといいな、と感じていた子ども時代を懐かしむ」ためにこそあると思うから。

エブリデイマジックというジャンルが好きだ。日常生活の中に不思議な世界観が混在しているようなお話。存在自体が大事件ではないオープンになっている魔法少女や、宇宙人など。これの最たるものがドラえもんだと思う。

たまに現在のドラえもんをチラッと見たりすることがあるが、声優が変わったとかそういう問題じゃなくて、エブリデイマジックとしての面白さを忘れてしまっているような気がする。大事件が起こったりドタバタしたりしなくてもいいのに。

今ではF先生の少し不思議の正統な後継者は本家のドラえもんじゃなくケロロ軍曹なのかな?とも思う。(もちろん最初からF世界のパロディ要素が多かったわけだけど)いつの間にか本物より本物っぽくなっちゃったのかな。

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