この感情に名前をつけてくれ!
コーヒーが好きだ。毎日5~10杯近く飲んでいる。そんなにコーヒーを煎れるのは大変じゃないのか?と言うかもしれないが大変ではない。インスタントコーヒーだからだ。
インスタントコーヒー飲んでるくらいでコーヒー好きを名乗るなよ、と言われそうだ。それもそうだ。じゃあ「インスタントコーヒー好き」ってことで、ひとつ。
まぁ、この呼び名自体は別にいい。○○好きの部分にちゃんと好きなものの名前が入ってるんだから。日本語的には合っている。ただ一つ。なんだかこれって「真のコーヒー好きにはおよばない二流の人」みたいなニュアンスが含まれてないか?考え過ぎか?
もちろん喫茶店でコーヒーを頼むこともあれば、家でレギュラーコーヒーを煎れることがないわけでもない。必要とあらばミルで豆から轢いたりする。さすがに焙煎まではやったりしないが。
うーん、上手く説明できないけど、一番重要なことは自分が「インスタントの方が普通のコーヒーより美味い」と感じていることだ。なんだかねぇ、薄いんだよ、普通のコーヒー。
もちろん美味い普通のコーヒーもある、とは一応知っている。でもそれって超大当たりの喫茶店で一杯千円ぐらいしたり、美味くて当たり前なんだよね。むしろそれぐらいの値段を出しても(自分にとっては)ハズレのコーヒーが沢山あることの方に憤りを感じる。
ましてや自分ちで煎れるコーヒーなどは結構どうしようもない。自分のやり方が悪いのかと勉強もして、色んな方法も試したけどやっぱり自分が好きなコーヒーの味にはならない。
ここまでは「自分の味覚がなんだか変」ってことで解決はする。世間のスタンダードからは外れている、それは間違いない。ただ納得はいかない。「真のコーヒー好き」の人々から馬鹿にされるから、ではない。
ここが重要なんだけど(自分が大好きな)「インスタントコーヒーを飲むのにもっと手間暇をかけたい」のだ。わかりにくいかな?上手く伝わってるかな?
コーヒーなんて栄養摂取を目的にしているわけでもなければ水分補給が目的なわけでもない。生きていくために必要じゃない純然たる嗜好品だ。嗜好品を楽しむっていうのは趣味の分野ってことだよな。その趣味性が全くないわけだ、インスタントコーヒーには。
適当な分量をカップに入れてお湯を注ぐだけ。3分待つ必要すらない。猫舌でもない自分はそのままガブガブ飲むことができる。美味い。その日の気分で薄めにしたり濃い目にしたり。便利すぎると言ってもいい。
一方で普通のコーヒーは結構面倒だ。フィルターにしてもサイフォンにしても準備も後片付けも洗い物も大変だ。豆を轢く時の音もうるさいしテーブルも汚れる。その面倒くささがうらやましい。
豆の種類は別にしても、その手間暇、カップをどれにするか、温度の管理等々の面倒な手順の数々は一応「いかに美味しいコーヒーを飲むか」に直結している、という大義名分がある。
インスタントだって気に入ったカップを使って好きな温度で飲めばいいんだけど、残念ながらカップによってインスタントの味が変化する、という話は寡聞にして聞いたことがない。そこが残念だ。「所詮は単なるお気に入りでしょ?」ってことになる。
別にここでインスタントコーヒーの同好の士を集めようという腹づもりではない。コーヒーはただの例だ。例えば他の例としてインスタントラーメンがある。
普通のラーメン好きが色んな店を回って麺の打ち方だの縮れの有無とかスープの原料とかなんとかこだわって手間暇をかけているのに比べて、例えば「インスタントラーメン好き」な人はこだわれる部分が少ないわけだ。普通のラーメンよりインスタントの方が好きだったとしても、だ。
こういうのを何て言うんだろう。B級グルメ?違う違う。それは単に味覚の問題だ。A級とかそういう優劣の問題じゃないから困るわけで。
嗜好品や趣味なんだから手間暇かけてじっくりと楽しみたいわけだ。もう一つ例を。例えば万年筆好きな人がいる。自分はもうカートリッジ式すら面倒くさい。でも万年筆好きな人はペン先がどうこう、軸の材質が、インクの粒子が云々。
インクを入れてはニヤニヤ、軸を磨いてはウットリ。「イヤー、もうこいつ(万年筆)ったら手間かけやがって」とツンデレな態度。ちょっと気持ち悪い例だけど、これが趣味や嗜好品ってもんだと思う。
自分は多色ボールペンが好きだ。これも少しだけは趣味性がある。グレードも細分化してるし一応中のリフィルもメーカー間で互換性が多少あって交換可能だ。ただ国産単色ボールペンが好きって人は大変だ。インク切れしたら交換するだけ、楽なんだけど手間暇はかける余地がない。
インスタントなもの、簡易的なもの、最新式な物。確かに何かを省いたり簡略化したりするから優れたもの、便利な物ができるんだろう。でも同時に趣味性をどこかに落っことしてしまうのが残念でならない。
これも時間が解決するのか?自家用自動車が登場した時は(国や場面にもよるだろうけど)馬やカゴ、市電なんかの優れた代理品だったんだと思う。それが今はどうだ。「車が趣味」なんて人はいっぱいいる。ジャンルや楽しみ方、ユーザー層、どれをとっても一級の趣味だ。この御時世、「いやー、やっぱり馬に乗るのが本格派だよ」なんて言いだす人はちょっと怪しい。
技術の進歩や社会の変化はスピードを増していく。インスタントや代理品の代替わりも激しく、品質も上がっていく。残念ながらカニカマと名乗れなくなった「あの食べ物」が蟹より好きだという人が現れても別におかしくはない。
なにも「やたら高くて煎れるのが面倒でインスタントじゃないインスタントコーヒーを何十種類も販売してくれ」ということじゃない。それってただのコーヒーだよね。便利さと趣味性は両立できない永遠のテーマなんだろうか?
全てのインスタントも淘汰され(ポラノイドは消えデジカメが生き残った)、本物を超える瞬間が来る(ピアノはハープシコードの代理品だった)可能性がある。もちろん超えないものも多いが。その間にゆっくりと趣味や手間暇も増加していくのかもしれない。でも僕たちにとって、その歩みは少し遅すぎて時にはもどかしい。
本当に一番に言いたかったことを最後に。
「カップヌードルって、既にインスタントなラーメンじゃなくて、カップヌードルっていう別の食べ物だよね?」
カップめんって、作るときも楽しめる品物です。
蓋を開けるとき
中身を開くとき
お湯が十分に注げるかどきどきするとき
蓋をして麺をふやけさせるとき
ひとときの
独り暮らしでは最大の
エンターテインメント
エンターテインメントという言葉を
そういう時に使うのかはワカランがw
そういうこと、そういうこと
カップ麺の蓋あけグッズとか
かき混ぜ専用マドラーとか
お道具にも凝ってみたいところ(笑)
茶道みたいに「カップ麺道」の開祖として
食べる時の作法とか誰か考えないかなぁ