生活と静寂、資本と幻想
とんでもなくダラダラと際限なく続いていた正月が終了した。生活が回り出す。
電子的なデバイスで自分の時間を細切れにして管理する人々へ。本来どこにも線が引かれていない公転周期百回分に近い時間を持っているのに。1年の始まりに線を引き、1日の始まりに線を引く。デジタルの威力で際限なく時間の単位は細かくなっていく。
ここ数ヶ月、携帯電話の会社から夏までに買い換えろと再三にわたり電話が来る。
ミクロの概念を積み重ねて思想の塔を建築する人々へ。その矛先を見えない時間の地平線の彼方に向けてほしい。試しては休み、落としては拾う。手帳に書ききれないタスクを実時間でこなせるはずもなく。弁解の言葉が上手く出てこない。
携帯会社のセールス電話ではスマホスマホの大合唱。
略し方にイライラする。静寂の代わりに生活がやってくる。
てにをは。言語の極北。
そうやって2012年がはじまった。特に何も変わっていない。着古したコートの毛玉をとっているうちに次の年がくる。通信、管理、伝達、記録、変換、娯楽。手の中に治まる機能が増えるたびに僕たちは身軽になれると信じて。
メールを初めて使った20年前。年賀状は絶滅すると思ったのだけど…