信じすぎる人々 -政治や特定の市民団体-
日本の国政選挙や実際の傾向、それ以上に世界中の政治や色々とアレな活動団体の暴走っぷりが見ていて本当に切なくなる。というか加速度的に痛々しくなっているのは何故なんだろう。
個々の運動の是非の問題じゃなくて、なんだか話が噛み合わないままで、もう収拾がつかなくなっているように思うのは自分だけだろうか?その「話の噛み合わなさ」が重要な問題なのに、意外とそこはスルーされているような気がして気になる。
一応全部を読んでもらえばわかるけど、個別の主義主張が正しいとか間違ってるとかは今回は言うつもりありません、今日はそこが重要じゃないからね。
性善説っぽい話なので「あの組織のトップの○○はそんな良い奴じゃない」みたいに感じたら中堅どころとか下っ端クラスの人の顔をイメージしてもらうといいんじゃないかな。
世界の人々の理想はどこにある?
過激な行動や理論、主義や主張。世界中に色んなものがあるけど(本当に極端な例を除けば)突き詰めていくと意外とまともなことを言ってたりする。というか正論ですらある。一番大元まで辿ればね。
シーシェパードだって「カワイイ動物を殺すのは可哀想」みたいなことだし、児童ポルノ問題だって「子どもが被害にあったら大変でしょ」ってことだ。米軍基地問題だって「戦争なんかないほうがいいよね」だし。
極論を言えばアルカイダだってハマスだって、何かしら信じているものがあって、それは根源までさかのぼってみれば「みんなが仲良く幸せに暮らせると良いね」的なホンワカムードの主張だったはずだ。少なくとも一番最初はね。
もちろんアメリカの軍事政策だって、(日本の)民主党の政策だって、大なり小なり遡ってみれば正論だったり、世のため人のため、みたいなことから始まってたりする。
真面目な人ほどケンカする
どこにだって「裏で私腹を肥やす自分本位な人」「他人のことなど考えない極悪非道な人」というのはいるんだけど、何らかのイデオロギーを持っている人達の中では、それは極端に低い比率だと思う。
というか最初から「人がどうなろうと知ったこっちゃない」人達は、そんなイデオロギーなんて無くても生きていける。私利私欲のために注げるエネルギーってたかがしれてるし、個人的なものだからね。よっぽど上手く他人を騙さない限り仲間も出来にくいし、徒党が組めない。後から組織を乗っ取るぐらいはやるだろうけど。
そんな「意外と良い人達」ぞろいのはずの各種の団体、政党、グループで話し合うとどうなるかというと、もうこれが噛み合わない噛み合わない。たしかに主義主張は全然違うから簡単に歩み寄れないのはわかるんだけど、冷静に話し合うことぐらいは出来ないのか?と思う。
時には話し合いすら出来ない。もう既に「相手は悪人だ」「悪人とは話し合うだけ無駄だ」的な思考で意思の疎通なんて不可能な状態になることも。耳をふさいで「アー、アー、聞こえない」って言ってるような人々もいる。
見ていて痛々しいんだけど、それよりも「あぁ、この人達、真面目なんだろうなぁ」と思う。多少不真面目だったら擦り寄ったり、おもねったり、日和ったりできるんだろうけど、それが出来ない人たちなんだろうな。
だから反論できないことを言われたり、追求を受けたりすると「自分が信じるもの」を守るために過剰な防御反応に出る。外側からすると認識しづらいけど、本人達の中では「今信じているもの」は根源の「みんなが幸せに」みたいな所と繋がってるので、なかなか揺らがない。
これを真面目と言っていいの知らないけど、なんだったら「やたら頑張る人、一途な人」と言い換えても良い。
主義主張の枝分かれ
一番最初は「みんな仲良く幸せに」みたいな話だったのに、なんでこうなっちゃうのか?原因は色々あるだろうけど、過程としては「枝分かれ」してるんだと思う。そして分岐を繰り返して何世代もたつと、自分たちが同じ所から枝分かれしたことが認識できない。
日本の左翼運動のセクト乱立あたりがイメージとしてはわかりやすいんだろうか。知ってる範囲で流れを書いてもいいけど、漢字ばっかり&やたら紛らわしい名前が多いのでやめておこう。
「日本で」「労働者の権利を守ろう」「でも共産党はちょっと」という限定された枠組みの中から、たった数十年で(傍目から見ると)ちょっとしたことで分裂を繰り返して、最盛期には細かい区分や学生組織も含めると何十個もの組織に分かれては消えていった。
思想が近いんだから仲もよいかというと悪い。というか殺し合いの内ゲバだ。「殺し合うほど」じゃなく本当にザクザク殺し合っている。自分もギリギリでリアルタイムで見ていた世代じゃないけど、今でも文献を読んでも互いに何をいがみ合ってるのかサッパリわからない。
本家、元祖みたいな争いもあれば、「こっちが進歩的」「先進的」みたいなことでも争っている。もちろん外に向かっても爆弾だのテロだのリンチだの、凄いことになっている。遠い人とも近い人ともわかり合えない。
別に新左翼に限ったことじゃないんだろうとは思う。ここまで極端じゃなくても、ほんの少し違ってるだけで政治政党や市民団体はすぐに分裂する。分裂したからには相手を非難する。そりゃそうか、非難するところがないんだったら分裂する必要もないはずだもんね。
分裂相手を非難することが自分自身の存在理由、という本末転倒もいいところの話になってしまう。
結論を急ぐ人々
分裂だの独立だのするからには、もちろん理由がある。よく見てみると決定的な意見の違い、路線の違いっていうのは少ない。
元々今いるグループは似たような思想、主義主張の人が集まってるはずだ。一応ね。だから本来は割れにくいはずなんだけど、そのいろんなグループがサクッと割れる時に原因になりやすいのが、優先順位とタイムテーブルの問題だ。
大体グループの人手や時間や資金は限られている。何から先にやるか?何をいつ頃やるか?これは本当に揉める。運営上の問題というわけだ。
やろうとしていることは大抵は似通っているわけで、そこに正しいとか間違いとかいうことは明確にない。大企業の社長の資本投入マネージメントみたいなことを考えなきゃいけないんだろうけど、みんな真面目だし(笑)冷静になれない。冷静に考えることすら「熱意がない」みたいな批判を受けかねない。
急進派という単語が物語っている。行け行けドンドンだ。他に慎重な人達、グループ維持が最優先の人達、先にもっと話し合おうという議論好きな人達。いろいろいるんだけど、急進派はあっけなく外に飛び出してしまう。
本人には信念があるのでゴールが見えている。というかゴールしか見ていない。そこに至る過程に障害物があっても、それは「障害物が悪い」さらに「障害物がある世界や社会が悪い」のだ。確かにその理屈でいうと悪いのは「自分の外側」なんだけど、善悪にかかわらず障害物はそこに存在する。悪いからといって消えたりはしない。
この途中が見えないということが重要だ。その人の前で何を説得して説明しようと「だってゴールしたいし、あなたもしたいでしょ?」で話が終わってしまう。確かに素晴らしい目標が設定してある。ゴールできればいいかもしれない。
だから周囲の人が「まぁまぁ」「もっとよく考えよう」といった瞬間に、その人達は障害物の仲間入りをしてしまう。昨日の友は今日の敵だ。足を引っ張ってると思うんだろうな。
たいてい、こういう人が設定するゴールは限りなく遠い。
ゴールするには方向や道を知ってなきゃなんないし、ゴールするまでの体力も必要だ。歩いて行けなきゃ交通機関にのるお金が必要だし、道に迷った時のガイドも必要かもしれない。途中で食事や宿泊も必要かもしれない。ペース配分も必要だし作戦も重要だ。RPGみたいに入手しないと次のイベントが起こらないアイテムがあるかもしれない。
それらの全てはゴールの素晴らしさとは一切関係がない。
でも、あわてんぼうの急進派の人には、そのこと自体が我慢がならない。「素晴らしいゴールなんだから簡単にゴールできないとおかしい」と思ってしまうみたいだ。
「戦争のない世界」とか「世界中の貧困を無くそう」とか、それに異論がある人は少ない。だから誰もが自分なりのやり方でやっている、はずなんだけど。ゴールしか見てない人にとっては「自分と違う他人なりのやり方」は全部が障害物だ。話し合いも不可。
見たいものだけ見る人達
この情報化社会にいうのも何だけど「情報量が圧倒的に足りない人達」がいる。逆に情報化社会だからなのか「情報が偏っちゃってる」人達もいる。あくまで相対的にだけどね。
一人の個人が世界中の情報を見れるわけ無いから、そりゃもちろん偏るんだけど、偏るプロセスが大事だと思う。偏ったまま固定されちゃうとちょっと困る。
ここでも大事なのは時間だ。時系列と言ってもいいか。
何の情報を最初に与えられるか、情報に触れた順番って重要だ。インプリンティング、すりこみというのも問題だけど、人はそんなに最初の情報には固定されない。むしろ次に見せられる情報が前の情報と矛盾した時の行動が明暗を分ける。
メジャーな例を一つ。「9.11はアルカイダのテロだ」という情報の次に「アメリカの自作自演だってさ」という情報が入ってきた。どうする?という問題。(この件の真偽は問わない)
もちろんアメリカの国策やアルカイダへの予備知識が大きなウェイトを占めるはずなんだけど、あまり関係がない人達がいる。情報が入ってきたら順番に信じちゃう人達だ。そういう人は次に「やっぱり自作自演説はアルカイダが流したデマでした」という情報が入っても信じるだろう。
困った人達だけど、それはそれで害がない。流されやすければ次も流されてくれる。そういう人は情報に踊らされても他人に「踊れ」と言い張ったりはしない。
一番怖い人達は「ショックのあまり思考停止する人」だと思う。これはある意味「最初の情報を信じ続ける人」「次々と信じる人」よりもやっかいだ。思考停止するから次の情報が入っていかない。固定化されちゃう。
大きな時代の思想転換が起こる時にこういう人が現れる。今まで信じていたものが崩れたショックに耐えられない人。いっそ「何もかも」信じられなくなってくれれば良いんだけど、そういうわけにもいかないらしい。
スターリン主義が崩れた時のソ連、戦後直後の日本、ベトナム戦争が終わったアメリカ。ショックなのはわかる。でもメーターが逆方向に振れたまま動かなくなるのはどうしたものか。
もちろん、その人達も次々と情報を仕入れている。勉強もする。ただし「フィルター付き」だ。都合の悪い情報は眉唾物で聞いてしまう。結論が先にあるので覆ることは100%無い。
でもそれって誰でも大なり小なりフィルターかかってるよね。人間誰しも見たいものだけ見るものだ。怖いのはメーターの揺れなさだ。思想メーターの針が固まっちゃった人は他人のフィルターを攻撃しだす。
忘れる人達
ここで別種の困った人達の話。すぐに忘れてしまう人達がいっぱいいる。「あんなに騒ぎになったのに」「あれほど大問題だったはずなのに」忘れてしまう。
政治家や政党の不祥事や、外国の戦争や人権問題、団体の犯罪行為やテロ、世間が騒いでいる時にはワイドショーやニュースショーで仕入れた知識で専門家顔負けだったはずなのに忘れる。イメージだけでも残っていれば良い方だ。
これ自体は本人の勝手なんだけど、そこにつけ込む人々がいっぱいいる。他の信じすぎる人達が次から次へとやってきて、有る事無い事吹き込んでいく。いいカモだ。
ここで再び時間の話。過去を忘れているというのは、もうそれ自体が大きなハンデだ。他人の情報に系統立って反論できない。
流されやすいのともちょっと違う。忘れているのだ。単に無学とか予備知識がないとか、そういうことでもない。既に散々議論された話とか、ループを繰り返して保留しておいた話とか、そういうのに簡単に乗っかってしまう。
手段と目的の逆転
ここまでの話で言いたかったことの補足は、枝分かれするグループの構成内容だ。
結果を急ぎすぎる急進派の人が独立する。リーダークラスだ。勢いだけはある。大騒ぎの果てに古巣と大喧嘩して出ていくんだけど、この時に様々な大事件が起こる。
次に見たいものだけ見る人がついてくる。他を冷静に見渡す人はついて行かない。リーダーを崇拝しているかというとそうでもない。単に今自分が見たいものに合致していただけだから、この中に次に組織を割る人間が含まれている。
その人達が前のことを全部忘れてる人達をかき集める。流れを知ってる人はダメだ。今までの流れを知らない人なら議論したりオルグしたりしなくてもいい。即戦力(笑)だ。下っ端扱いだけど。
そうやって新しい団体が出来る。大抵は慌てん坊の急進派がリーダーだし、前の組織を批判しなきゃならない、そして独自色(良く言えばね)をだす必要もある。だから当初の枝分かれの目的とは別に「ちょっとだけずれる」んだろう。
その流れをやたら繰り返して人間は進化してきた。遺伝子の乗り物だった生物が生存自体が目的に切り替わったように、思想の乗り物だった団体も存在することが目的に切り替わっているように見える。そして他者を攻撃する。体内に取り込もうとする。
ここまで書いて、誤解の無いように。別に何かを信じることが悪いわけじゃない。何かの活動にコミットすることが悪いわけじゃない。ただ元を辿れば意外と先祖が同じだったりすることを忘れずに。同士討はホドホドに。一つのことを信じすぎると、それをすぐ忘れてしまう。