錬金術について
最近、錬金術について考えをめぐらせている。いや、別にペテン
を始めてみんなを困らせよう、とかそんなことじゃない。金を作る
と言うよりも、その作る過程、経験を積み重ね、課題を解いていき
ながら真理に達するプロセスを重要だと思っている。
その結果生み出される、万能の物質「賢者の石」にも、実は余り
興味がない。というより、ロールプレイングゲームなどで、いささ
か単純な記憶器具として出現するこのアイテムに食傷気味だと言っ
てもいい。
いとうせいこうの名作「ノーライフキング」で、主人公が必死に
自分の記憶、存在を記録しようとした賢者の石。その一つ一つのア
イテムとしての価値よりも、記録する仮定、自分の存在を溶かし込
む儀式の方に注目したい。
誰もがそこで、自分にかけているものに気づき、それを修復して
いくプロセス。ユングであれば、もうちょっと気の利いたセリフで
まとめられるんだろうが。いつの日も、最もわからないのは自分だ
ということだ。