想像力の限界
自分の不安定でどこまでもループする想像力が、すこし煩わしく
感じる時がある。想像力があることは一般的に良いことだとされて
いるが、その実はどうだかわかったもんじゃない。
今日、ガソリンスタンドで、車のタイヤが磨り減っていると注意
を受けた。「もうすぐタイヤ祭りをやるので、その時に交換に来ま
せんか?」この言葉を聞いた瞬間に、想像力の輪は回りだす。
タイヤ祭り。大きなタイヤを神輿(みこし)代わりに「ワッショ
イ、ワッショイ」と担ぎ上げたりするのだろうか?いや、掛け声は
「タイヤー!タイヤー!」かもしれない。タイヤ祭りとはどんなも
のか、自分が想像した結果を同乗者に説明する。笑われる。そう、
これぐらいであれば、まだ笑い話なのだ。
想像は果てしなく続く。一個のタイヤを取り合って両グループが
争い、最後にタイヤを持っていた人間が一年間、神の役をやる。巨
大タイヤの中に入って坂道を転げまわる。タイヤの中に入る役は栄
光と勝者の証だ。カーブでは若者たちがうまくロープを引っ張って
曲がるが、時々カーブ地点の家がつぶれたりすることがある。毎年
数人の死者を出しながらタイヤ祭りは行われている。
自分でも何を言っているのか、わからなくなる。同乗者も呆れ顔
だ。タイヤすくいとか、一年間履きつぶしたタイヤを燃やして供養
するために大量の有害物質が発生するとか、そんなことを考えてみ
る。
わっかを投げて、軽自動車用から巨大ダンプ用まで並べてあるタ
イヤのうちの一つを狙ってとるとか(めったに四つそろう人はいな
い)、ブラジル帰りのビキニのお姉ちゃんが自転車のタイヤでフラ
フープとか、そんなところまで考えが進む中で、「うるさい」と言
われ話は中断する。しかし、沈黙の中でサンバフラフープは続いて
いた。